生涯を通じて独自の表現を追求した画家、今井繁三郎。彼の作品は、少女や動物、郷土の風景といったモチーフを描きつつ、それらが抽象的な形や色面と組み合わされることで幻想的な世界観を作り出しており、その作風から「心象画家」とも評されています。
若き日は東京で美術雑誌『美之国』の編集を務め、第一線の作家たちと交流しました。しかし、「私の血は(それを)嫌った」と記すほど画壇の権威主義を嫌い、次第に中央と距離を置くようになりました。更に、第二次世界大戦中に従軍画家として南方に赴いた経験は、以後の作品や生き方に大きな影響を与えました。 彼の作品には、飢餓や貧困に苦しむ人々、国を追われた民、戦争に翻弄される家族など、「弱き者」を慈しむようなテーマが多く含まれています。
戦後、35歳で帰郷した今井は、家族と共に山林を開墾して住居とアトリエを構えました。 「条件の悪い土地で描くと腹に決めている」と語り、あえて地方を拠点にしながらも、毎年郷土鶴岡や長崎、東京で個展を開き、作品を世に問い続けました。また、鶴岡市を拠点とする美術団体「白甕社」の委員長を長く務め、後継の育成に尽力。地元羽黒町の広報委員長として、地域の文化芸術の振興にも力を尽くしました。
晩年には「芸術は次の世代のためにある」という信念から、個人美術館「今井繁三郎美術収蔵館」を開館。この遺志は現在、孫たちが運営する「羽黒・芸術の森」に引き継がれています。
1910年2月7日 山形県東田川郡羽黒町(旧泉村)戸野に生まれる。
1927年 山形県立鶴岡中学校(鶴岡南高等学校)卒業後、画家を志し上京
する。芝絵画研究所に入所、山本鼎・山崎省三・木村荘八らに指導を受ける
1936年 鷲田新太の誘いにより美之国社に入社。美術雑誌美之国の編集に携わる
1937年 自由美術家協会創立に参加
1941年 東北生活美術協会を結成。銀座資生堂にて展覧会を開催
10月 美之国社の客員となり、海軍省の従軍画家として南方に赴く
1942年 帰国 5 月銀座資生堂にて展覧会を開催
7月 満州国に赴き当時の奉天・新京・ハルピン熱河を写生旅行し9 月に帰国
1943年 銀座村松画廊にて「海南島風物画展」開催。7 月 台湾に赴き、台北・
高雄にて個展開催。全島を巡る。10 月帰国
1945年 敗戦、東京を離れて郷里に帰り、山野を拓いて家族と共に住む。
1946年 日動画廊にて旧自由美術家協会の会員展を開催
1947年 毎日新聞主催美術団体連合展、都美術館で開催
1956年 山形県美術連盟運営委員長に就任
1957年 白甕社委員長に就任
1964年 欧州に赴き、パリに滞在する
1976年 美術団体「光陽会」の委員となる
1979年 齋藤茂吉文化賞受賞
1981年 サントリー地域文化賞受賞
1983年 光陽会文部大臣奨励賞受賞
1989年 美術団体「光陽会」の委員長に就任
1990年 羽黒町泉野の自宅庭に今井繁三郎美術収蔵館を建設
1996年 鶴岡市特別文化功績賞を受賞
1998年 長崎県立美術博物館にて回顧展開催
1999年 O 美術館(東京都)にて90 歳展開催
2000年 山形美術館にて2000 年記念展を開催 アート・CON(混)展、文藝春秋
画廊にて開催
2001年 羽黒町名誉町民となる(合併に伴い 現在は鶴岡市名誉市民)
2002年1月9日 死去 享年91